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書評:夜よりも深い場所へいざなう6人のタナトス

YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video - ニコニコ動画

タナトスの誘惑 | 章詳細 - monogatary.com

 

 一目ぼれを経験したことがある人はどれくらいいるのでしょうか。

 

 電撃が走るような出会い、静かに目を離せなくなる出会い。あるいはそのどちらでもない何か。

 

 「タナトスの誘惑」では、主人公の“僕”が一目惚れから恋に落ちています。儚い雰囲気と不思議な魅力を持つ“彼女”と出会い、孤独な日常にほんの少しの希望を見出す。しかし彼女は「さよなら」と一言残し、屋上へ――。

 

 物語のすべては小説を読んでいただくとして、私がここで語るのは、「タナトスの誘惑」を鮮烈な音の中に閉じ込めたYOASOBIの楽曲「夜に駆ける」、そこから生まれたアナタシアの「踊ってみた」についてです。

 

 書評といいつつ、実質は動画の感想でしかありません。けれどその中には確実に“物語”があり、小説や楽曲の世界観を落とし込んだ新たな世界があります。だから私はあえて書評という言葉を選びました。

 

 前置きはこのくらいにして、まずは全体的な世界観について。

 

 衣装はカジュアルなスタイルでありながら、深い青や黒で統一されたもの。その色は真っ暗闇ではなく、隣にいる人の姿くらいは辛うじてわかる程度のほのかな灯りをたたえている夜、そんな景色を連想させます。

 

 退廃的なロケーションには、降り注ぐ柔らかい明かり。夜と朝の合間の、空が白んでくる時間帯でしょうか。楽曲の途中まで、“僕”は“君”と夜明けを迎えることを願っています。太陽が昇る前の時間、それは“僕”にとってきっと希望の時間。しかし身にまとう“夜”は、“僕”が望んだ“思いつく限りのまぶしい明日”を迎えません。この時間のズレこそ、この物語の結末を暗示しているようにも見えました。

 

 物語の中で、“君”には“君にしか見えない”世界がある。“君”が“恋するような顔”で見つめるその世界に、“僕”はわずかな嫉妬心を抱く。“君”を見つめているはずの目を覆うほどに激しい気持ちで。「見る」ということは会話の始まりであり、世界の始まり。けれど動画の中の6人は視線を合わせていません。合わせているように見えても、その目は互いに別な何かを見ている。きっとその先にはそれぞれの想う“君”がいるのでしょう。この世界の中で、6人は全員が孤独な“僕”であり、交わらない世界の中にいるのです。視線だけでなく、最後の場面まで触れ合わないその距離感からもその隔たりがうかがえます。

 

 「もう嫌だって 疲れたよ」そう言う“僕”は四角く囲まれた屋上で佇み、同じ動き繰り返す日々をすり抜けて落ちていく。“僕の目に映る君はきれいだ”そのことに気づくまで。

 

 さて、この物語はハッピーエンドなのでしょうか、バッドエンドなのでしょうか。私はいわゆるメリーバッドエンドだと思います。2人が2人にしかわからない幸せな(傍から見ればとても不幸な)結末を迎える終わり方。ただこの動画においては、限りなくハッピーエンドとして描かれているように感じました。最後の2人の笑顔が、ともすれば朝を迎えたのかと思うくらいまぶしいから。誰よりも魅力的だと感じる女性と2人で見つけた最高の結末を迎えるのだとしたら、それは間違いなくハッピーエンドなのでしょう。

 

 “僕”があれほど“いつか日が昇る”ことを信じていたのは、“いつかはきっと 僕らはきっと分かり合えるさ”と思えていたから。この“僕ら”が指しているのは、“僕”と“君”だけでなく“僕”と“世界”と捉えることもできます。けれど“彼女”が美しい理由に気づいた途端、その世界は反転し、夜に向かっていくのです。

 

 物語の最後で、“僕”の手を取るのは“僕”。そう、自分自身です。最初から“彼女”などいなかったように、“僕”1人でこのラブストーリーは結末を迎える。だって彼女は、最初から●●だったんですから。

 

 さて、私の目にこんなに魅力的に映っている彼らが、果たして“タナトス”じゃないって誰が言いきれるのでしょう?